1月22日の日記










年が明けてからとても忙しいのでお休みしようと思っていました。
いけませんね。
少し通える様な状況ですと、自分なりのデータを紐解いてしまいます。
遠い南紀の海を想像してしまうのです。




釣れているといった事で考えるのではありません。
その殆どが、過去の自身の釣行からでしょうか。
勿論、カレンダーどうりという訳でもなく。
色々な事を積み重ねて見て行くのです。







そういうのが、実に面白く思います。
あるかもと、正に当たったら、陶酔の世界に溺れて行く事でしょう。
いやいや、外れたら外れたで、更にタチが悪いのです。
何がズレていたのかと、間違った理由を求めてしまうのですね!
もう、頭の中は、青物の事で終始いっぱいになってしまうのです。
誠に恐ろしい世界だと思います。











今回、自身はブリを求めてみたのでした。
夢をみる事、想像する事は自由です。
そしてやっぱり、その予測はハズレてしまうのでした。
そこがやっぱり、私らしい下手ヘタぶりだと思います。
でも、それが面白いのです。 
























何を読もうとしたか!?






それは、黒潮ではない。















季節感、潮まわり、潮位、風、水温、その他もろもろの複合であろうか。
何より、大切に思うのが、自分なりの勘である。
あるんじゃないだろうか・・・。
それが決め手だろう。















向かったのは、ずっと行っていなかった磯であった。
最近、ポツポツと地磯通いをしているせいか。
メタボリックシンドロームな自身でさえ、徐々に身体が出来てきている模様である。
今まで、息が上がっていたところでも、とても健やかであったりするのだ。
それが、何気に嬉しい。
きっと、これを御覧頂いている誰よりも体力は乏しいだろう。
それだけは自信を持って言える。
それでも、コツコツと行きたいものだ。
















案の定、想像とは真逆の潮が流れていた。
いったい、どうしたら、それが分かるのですか???
読める方もみえるかも知れない。
いつも通り、私が知らないだけなのかも。


行った後で、釣った後で、ブログを書くのならば何とでも表現は出来るのである。
読み通りだった!!
本当にそんな方もいらっしゃる事だろう。




だとしたら、羨ましい限りであり、いつか自身もそうなりたいと思う。
情けないが、こうして釣りを続けても、全く分からないのが本心なのだ。
格好悪いが、そこは正直にいたい。













ならば、潮が悪ければ釣れないのか?
そんな事もないだろう。
風と潮が噛み合わなく、ルアーが思う様に動かないならば。
ダメな事を想定して持ってきた、それでも何とか釣りになる様なルアーを選ぶしかない。
 そこで、どれだけ、自身の感覚に近づけるしかないかと思う。
また、自身の感覚とはズレていても。
ふいのバイトやヒットはあるもの。
まったく、分からないのが海であり、魚なのではないかと思うのだ。
一生懸命に投げて巻く。
磯に立てばそれだけなのである。

















自分なりに粘り続けた。
後から、後から、上物の方がおみえになる。
自身の存在が迷惑だと思う様になった。
そうして、心が折れたのである。
遅いかもだが、磯あがりの時刻だろう。

















二本目に選んだのは、大きくエリアを隔てた磯であった。
気になるから、行っておかなければならない。
全く違うパターンを想定して臨む。












ここでは、予想通りの北西の爆風が吹き荒れていた。
まあ、その位は分かるのである。
要するに、その状況でさえ、いかに釣りを成立すべきかによるのだ。
何故なら、今もって釣りの日々が修行であるのだから。
ただ、少し長くブログを書いているだけで、まったく釣りの向上が無い。
そんな自身である事は自分が一番分かっているのだ。









三重、そして南紀の南エリア。
間違いなく、タイミングさえ合えば、この厳寒期でも魚はそこに届く場所に泳いでいる。
ただ、自身がズレているに他ならない。






釣れなくて当然。
合わせられるその時まで。
やって、やって、やりまくるしかないでしょうよ。










自身の大切な一本を掛けるまで。






それでは